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■1月■
− 新春囃子初め − |
「新春囃子初め」は、唐津くんちの年頭行事として行われます。唐津神社で1年間のくんち行事の安全祈願をした後、神社に隣接した曳山展示場内で曳山囃子が奏でられます。2〜5トンの巨大な漆工芸品でもある14台の曳山を前に響き渡る囃子の中で唐津っ子は、11月の本番へ早くも思いをはせるのです。 ※新春囃子初めの詳細は http://ww21.tiki.ne.jp/~yamauti/index4.html
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| 囃子初めを前に神事へと向かう曳山取締会の面々 |
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曳山囃子保存会による囃子の披露 |
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| 写真提供:多久島修氏(2点とも) |
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■2月■
− 初寄り − |
唐津くんちの曳山は、1819年から57年間に15台が唐津神社に奉納され、明治中期に焼失した1台を除き14台が現存しています。曳山は、奉納した14町の20〜40歳代の青年が中心となって維持・管理しています。各町には、この青年たちの「一番組」と総称される組織があり、毎年1〜2月初旬にかけて「初寄り」と呼ばれる新年会を開催します。
初寄りでは今年1年の役員を決めた後、年の初めから曳山に懸ける熱い想いを語りながら呑み明かします。また、唐津神社で厄年メンバーのお祓いをし、ベルトなど身につける長いものを贈る町もあります。 |
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| 唐津神社で厄祓いの神事 |
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付き添った後輩たちと鳥居前で |
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| 写真提供:中町一番組・中正会(2点とも) |
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■3月■
− 唐津曳山囃子保存会 − |
唐津くんちの曳山には、曳山が動いている時に奏でる「競り囃子」、止まっている時の「立て山囃子」、神社参道のみで奏でる「道囃子」の3種類の囃子があります。このうち、「道囃子」は一番曳山の刀町「赤獅子」のみが奏でます。
唐津曳山囃子保存会は、後継者の育成や伝承を目的に昭和4年頃から活動していたそうですが、曳山取締会内の組織として正式に発足したのは約20年前。現在のメンバーは、曳山を保有する14町内の囃子好き18人(20〜60歳)です。
主な活動としては毎月9日(くにち〜くんち)に唐津神社で行われる練習会の他、要請があれば唐津くんちをPRするため全国各地のイベントへも遠征しています。 |
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| 練習会で中・高生を指導する保存会のメンバー |
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唐津の物産展で囃子を披露する保存会 |
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■4月■
− 唐津神社春季例大祭(春まつり) − |
| 唐津神社春季例大祭 (春まつり)は、唐津くんち本番を半年後にひかえた4月29日に実施されます。曳山取締会や氏子総代等が参加して神社本殿で行われる神事が主な行事なのですが、見物客のお目当ては、やはり参道に勢揃いする14台の曳山です。この日だけは、自由に曳山に触ったり、子供を乗せて記念写真を撮ることもできるので、大勢の見物客で参道は賑わいます。曳山を運営する14ヵ町は各曳山の後ろで車座になり、酒を酌み交わし、くんち話に花を咲かせながら麗らかな春の1日 を過ごします。また、興に乗って囃子を始めたり、試し曳きと称して曳山を動かす町もあり、これも春まつりの楽しみの一つです。 |
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■5月■
− 唐津神社旗争奪14ヶ町親睦スポーツ大会 − |
唐津神社旗争奪14ヶ町親睦スポーツ大会は、曳山を所有する14町の親睦と団結を目的に毎年開催され今年で24回目を迎えます。親睦が主な目的なのですが、「自分の町の曳山が1番、よその町には負けたくない」と思っている唐津っ子にとっては「我が町の名誉と威信を懸けた戦い」という一面もあります。だから、当日は競技参加者だけでなく、町内の老若男女が応援に集まり“我が町”の試合に一喜一憂します。曳山という町のシンボルが登場する唐津くんち以外であっても町内の心が一つになれるからこそ、唐津くんち本番でも団結力とチームワークを発揮することができるのです。
競技種目は、バレーボールや綱引き等、幹事を務める町(14町の内1町が順番に担当)が決定し、今年はソフトボールで”戦い”ます。 |
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14ヶ町の参加者を前に開会を宣言する
唐津神社戸川宮司 |
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綱引きで熱戦を繰り広げた平成18年の大会 |
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■6月■
− 曳山装束 − |
唐津では、曳山に参加する人のことを“曳子”(ひきこ)と呼びます。曳子は、曳山を唐津神社に奉納した14町内の在住者か、町に認められた町外者に限られます。また、女性の曳子は「中学生まで」とする町や、全く曳くことができない町等様々です。 総漆塗りの豪華絢爛な曳山に負けないくらい立派な“曳子装束”も、唐津っ子の自慢のひとつです。一般に法被(はっぴ)といわれる祭装束を唐津では“肉襦袢”(にくじゅばん)と呼びます。肉襦袢は、羽二重(は ぶたえ)を各町で意匠を凝らして染め上げたものです。江戸腹(一般に腹掛け)とパッチ(一般に股引)の上に肉襦袢、法被(一般に半纏)を羽織り、鉢巻きを締めた唐津くんちの正装は、江戸時代の火消し装束の名残がみられます。 これらの装束は、一式で十万円以上にもなるのですが、唐津くんちのわずか3日間だけのために豪華な衣装をあつらえるのが“粋”だと唐津っ子は思うのです。 |
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14番曳山、江川町「七宝丸」の肉襦袢と法被。
江川町の曳山のモチーフ“龍”をあしらった肉襦袢。
紬の法被は、“江”と下の3本の線で“川”、
町名の“江川”を意味している。 |
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2番曳山、中町「青獅子」の正装(左)。
肉襦袢(右)も法被も青獅子の色である“緑”で統一されている。
肩から斜に架ける通称リリアンと呼ぶお守りや、
帯・鉢巻きも各町で意匠を凝らしている。 |
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■7月■
− 幕洗い行事 − |
“幕洗い行事”は、唐津くんちの始まりを告げる大切な行事です。無数の提灯をつけた船から曳山囃子が響き、「えんや〜!えんや〜!!」の掛声が夜の町にこだまする様は、唐津の夏の風物詩として市民や観光客にも親しまれています。 曳山には、獅子や鯛といった本体の下部に巻かれている幕があります。この幕を町田川(ちょうだがわ)で洗い、土手に干して乾かす間に松浦川河口へと船で下りながら、くんち話に花を咲かせ酒を酌み交わしたのが “幕洗い行事”の始まりといわれています。戦時中から一時中断され、昭和41年の再開後も、川の汚染等から実際に幕を洗うことはなくなり、船の行事だけが昔の名残をとどめています。
唐津くんちでは、秋の本番を前に身心を清める儀式が2度あり、最初の儀式を散齋(あらいみ)2度目を致齋(まいみ)と呼び、“幕洗い行事”は、最初の散齋にあたるとされています。この頃から曳山を持つ町々では、唐津くんちに向けた話し合いや集会が多くなるとともに、次第に気持ちが引き締まり、いよいよ唐津っ子の“くんち気分”が高まっていくのです。
場所: 町田川、松浦川下流
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6番曳山、大石町「鳳凰丸」の幕洗い行事。
写真左中央にあるのが幕 |
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本番用法被を羽織って囃子を競る2番曳山、
中町「青獅子」の幕洗い行事 |
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■8月■
− 曳山の構造 − |
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全ての曳山本体は、“漆の一閑張り”という技法で作られています。この技法は、まず粘土で作った獅子や兜の原型の上に和紙を6〜9cmの厚さになるまで張り重ねます。乾燥後粘土の原型を抜き、次に内側に麻布を貼り、外側には漆を塗って、磨き上げその上に金箔等で細工を施し完成させます。
曳山本体を載せる台車中央には、中空の四角柱が立てられ、曳山本体を重心で支える心棒がささっています。心棒は滑車によって高さを変えることができます。全長が長い材木町、大石町、江川町の曳山は、前後二本の心棒で支えています。柱や心棒は、各町で意匠を凝らして染め上げた垂れ幕で隠されます。この垂れ幕が、かつては“幕洗い行事”(唐津くんち歳時記7参照)で洗われていた幕です。
4つの車輪がついた台車には、前方に二本の綱があり2〜3百人の曳子(ひきこ)でこれを曳きます。また、後方には、カジ棒と呼ばれる文字通り舵をきるための樫木製の棒が2本あります。町角を曲がる時は、
曳山の癖や特徴を熟知したカジ棒の係(通称カジ棒)8〜10人が、力とタイミングを合わせて一気に舵をきります。数百人の曳子と曳山、囃子、カジ棒がひとつの生命体のように躍動し町角を曲がりきる様は、唐津くんちの見所のひとつです。 |
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■9月■
− 曳山囃子について − |
環境省の「残したい日本の音風景100選」にも選ばれた曳山囃子
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唐津くんちの囃子は、大太鼓、しめ太鼓、鉦(かね)、笛の4種の楽器で奏でます。笛は、女竹(めだけ)の一種で、節の間隔が長い「鬼
口」(おにくち)と呼ばれる竹で作られます。春先の竹に比べて、虫食いなども少ない8〜10月頃切ったものを使いますが、最近は竹林の減少とともに良い材料の入手が困難になりつつあります。一見すると普通の笛に見えますが、口をつけ吹く穴と音階を調整する複数の穴の他に、“竹紙”(ちくし)という「竹の内側から剥いだ薄い膜」を貼る穴があるのが特徴です。この“竹紙”が吹き込む息で振動し曳山囃子独特の音色が生まれるのです。
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唐津くんち当日は、曳山の動く速度や場面にあわせて、太鼓がリードしながら囃子のテンポや抑揚を変えていきます。時には、激しく豪快に。時
には、ゆっくりと優雅に、曳山の色々な表情を演出します。旋律は、どの曳山もほぼ同じですが、囃子だけでどこの町の曳山か判る人もいる位、太鼓のたたき方や曳山の構造が原因と考えられる音の響き方など、それぞれに特徴があります。
囃子は、各町内の小中高生が担当しています。本番を約1ヶ月後にひかえた10月1日から、町のあちらこちらで囃子の練習が始まり、毎晩響き渡る笛や太鼓が、この時期の唐津の風物詩となっています。各町の囃子の特徴を聞き比べながら、夜の唐津の町を散策する観光客も最近は増えてきました。
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■10月〜11月■
− 初くんち〜くんち本番 − |
| 日増しに“くんち気分”が高まる中、 |
| 14カ町が囃子を奉納 |
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| 〜初くんち〜 |
唐津くんちでは、11月の本番を前に身心を清める儀式が2度おこなわれます。
最初の儀式、散齋(あらいみ)にあたるのが「幕洗い行事」。そして致齋(まいみ)と呼ばれる2度目の儀式「初くんち」が、10月9日の午後7時から唐津神社で行われます。
曳山を持つ14の町が1町ずつ本殿にて囃子を奉納していきます。境内では町単位で宴が設けられ、他町の囃子を聴きながら奉納の順番を待ちます。
秋の夜風を身に受けながら酌み交わす杯が、唐津っ子の“くんち気分”をさらに高めていくのです。
| 五穀豊穣・商売繁盛を感謝する、 |
| 「唐津くんち」の一番大切な神事 |
〜神輿飾り・本殿祭〜
唐津神社の秋季例大祭である「唐津くんち」は、10月28日から3日間が本来の日程でした。しかし、観光客の利便性等を考慮して、昭和43年に本殿祭のみを10月29日に残して、お神輿に14台の曳山が供奉するお旅所神幸は11月3日(文化の日)に実施されるようになりました。これに伴い宵ヤマ、町廻りも変更され、現在の11月2日からの3日間が「唐津くんち」となりました。
本殿祭当日の朝に行われる神輿飾りは、総行司と呼ばれる当番町(曳山を持たない町も含まれる)2町が毎年交代で担当します。その後、本殿にて今年の五穀豊穣・商売繁盛を感謝する神事、「本殿祭」が行われます。
| 盆や正月にも帰省しない唐津っ子が、 |
| この日だけは唐津へ帰ります |
〜国指定重要無形民俗文化財・唐津くんち〜
約400年の伝統を誇る「唐津くんち」ですが、現在のような形式になったのは、文政二年(1819)から明治九年(1876)までの57年間に、15台の曳山(ひきやま)が次々と奉納されてからです。
この曳山のうち明治中期に焼失したといわれる1台を除き14台が現存しています。曳山は、「漆の一閑張」という技法で作られた獅子や兜などの巨大な漆工芸品を台車に載せたもので、これを数百人で曳きます。
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11月2日の午後7時30分、花火を合図に始まる「宵(よい)ヤマ」で「唐津くんち」の幕が開きます。
1番曳山刀町・赤獅子が曳き出され東周りに進みながら、各町が奉納年順に1番近い場所から参加し、午後10時には唐津神社前に14台の曳山が勢揃いします。
1年間この日を待ちわびた唐津っ子たちは、囃子に合わせた「エンヤ、エンヤ」の掛声も勇ましく、提灯の灯で幻想的な美しさの曳山を誇らしげに曳きます。
「唐津くんち」最大の見せ場は、11月3日正午から行われるお旅所(西の浜)への「曳込み」です。
重さ2〜5トンもある曳山が車輪を砂に埋もらせながら、力強く豪快なテンポの曳山囃子に合わせて砂浜を進みます。
「エンヤ、エンヤ」の掛声と共にお旅所へ曳き込まれる様は正に“極彩色の時代絵巻”、圧巻です。
最終日の11月4日は、宵ヤマと同じコースを通り、午後12時30分唐津駅前に14台が勢揃いします。
午後4時30分、曳山を最後に格納する展示場へ近づく頃には、テンションは最高潮に達します。今年のくんちの満足感と、曳山との1年間の別れを惜しむ気持ちが交錯し、感極まって目に涙を浮かべる曳子も大勢います。
曳山と曳子、さらには沿道の観衆の心が一体となって、「唐津くんち」はフィナーレをむかえるのです。
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