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呼子綱引き(呼子町)
「文禄・慶長の役」時代、豊臣秀吉が兵の士気を鼓舞するために、加藤清正と福島正則の陣営を東西に分け、軍船のとも綱を用いて引かせたことから始まったと伝えられています。もともとは旧端午の節句に行なわれていましたが、現在では6月の第1土曜日(子供綱)、日曜日(大人綱)の2日間にわたって行なっています。 |
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切木ぼたん(肥前町)
秀吉の怒りにふれ筑波山に幽閉された松浦領主、波多三河守。その後、焼け落ちた波多氏の居城、岸岳城跡(北波多)を訪れた家来の井手賢介が、主君の愛した牡丹の一株を見つけ、持ち帰って屋敷に植えたのが始まり、といわれています。また、三河守に同情した博多の人々は、博多祇園山笠に牡丹の花の飾り物を加えるようになったといわれています。 |
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虹の松原「にらみ松」
秀吉が朝鮮出兵の際にこの松林で休んだ際、高くて邪魔な松をにらんだら、それ以上大きくならなかったといういわれのある松が、虹の松原にあります。
また、松原にはせみの鳴き声が聞こえない、といわれており、秀吉がここを訪れた時に、あまりにうるさい蝉の声に機嫌が悪くなり、「静かにしろ!」と怒鳴ったところ、それからは時の天下人の豊臣秀吉の威光を恐れ、蝉さえも静かになったといわれています。 |
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けえらん
せいろで蒸したうるち米の生地で、餡を巻いた上品な和菓子。朝鮮出兵のために唐津を訪れた太閤秀吉に献上されたのが始まりです。この時、秀吉が「戦に勝つまで帰らん」と言ったことから「けえらん」の名が付いたといわれています。 |
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名護屋帯
当時、明や韓から渡来した織り工によって絹糸で唐式に編んだこの帯が,名護屋在陣の人々の間に流行したので,名護屋帯の名が付き、全国に広まったといわれています。 |